Totient Function について ― 2012/01/01 09:12
100円雑誌のススメ 2 ― 2011/12/12 11:47
100円雑誌のススメ 2
文藝春秋の「本の話」が10月号で休刊になった。それ以外は特記すべき事案なし。全体的に新刊紹介の記事ばかりで、もう一年継続して読みたい記事はあまりない。小冊子とはいえ年間を通じて郵送する手間への見返りが千円程度では、どう考えても赤字のはずだが、販促の意味でも続けざるを得ないのだろう。ご苦労様ではある。ただ、継続手続きが意外と煩雑で「やってらんねえ」感は否めない。いつまでも、こんなお役所仕事でやってたら、流通経路ぜんぶAMAZONに持ってかれちゃいますぜ。
『100円雑誌のススメ』
http://dagaya.asablo.jp/blog/2011/01/12/5634328
文藝春秋の「本の話」が10月号で休刊になった。それ以外は特記すべき事案なし。全体的に新刊紹介の記事ばかりで、もう一年継続して読みたい記事はあまりない。小冊子とはいえ年間を通じて郵送する手間への見返りが千円程度では、どう考えても赤字のはずだが、販促の意味でも続けざるを得ないのだろう。ご苦労様ではある。ただ、継続手続きが意外と煩雑で「やってらんねえ」感は否めない。いつまでも、こんなお役所仕事でやってたら、流通経路ぜんぶAMAZONに持ってかれちゃいますぜ。
『100円雑誌のススメ』
http://dagaya.asablo.jp/blog/2011/01/12/5634328
対角線上のアリア ― 2011/11/25 11:42
対角線上のアリア
森博嗣のミステリーに「黒猫の三角」という作品があるが、これは「クロネッカーのデルタ」をもじったもの。すなわち、対角成分のみ1でそれ以外は0である単位行列のことで線形代数の履修時に登場する。さて、このクロネッカー教授にはカントールという教え子がいた。優秀な学生であったが、整数論をこよなく愛す恩師の神経を逆なでするような論文を発表することで、自らの人生を茨の道に変えてしまう。その論旨となるのが、いわゆる「対角線論法」である。
曰く 。1未満の全ての実数を番号を振って表上に並べたと仮定し、
1 0.2912…
2 0.3598…
3 0.7811…
4 0.3678…
:
a 0.2518…
b 0.3629…
小数点以下、対角線上の桁だけを抽出生成した実数a に対して、その各桁を更に+1した実数b は当然の事ながら表上のどの実数とも一致しない。番号付きの表に存在しない実数が見つかったが故に、実数は整数より多い。 Q.E.D.
この破天荒な証明を読んだ師クロネッカーは激怒した。この時に宣言したのがかの有名な 「神は整数を創りたもうた。それ以外は人為による」 である。
原文 Die ganzen Zahlen hat der liebe Gott gemacht, alles andere ist Menschenwerk.
さて、時代は下って20世紀前半、今度はゲーデルなる若き数学者が「不完全性定理」なるものを引っ提げて登場「数学は自己の無矛盾性を証明できない」という事を証明して、数学全体の完全性と無矛盾性を示そうと試みていたヒルベルトを激怒させる。この証明にも対角線論法が使われた。
カントールは集合論に、ゲーデルは論理学に、それぞれ大きな足跡を標したのであるが、両者が駆使した対角線論法ほど毀誉褒貶のある証明手順はなかろう。そもそも無限集合に背理法など適用可能なのか、といった居心地の悪さを感じさせるのである。
さて件の論法について、否定派は「b に等しい実数を逐次後方へ追いやっているだけ」と非難し、肯定派は「永久に同じ実数が現れないのは自明」であるから証明は成ったと論破する。どちらの主張にも一理あるのでパラドックスめいて見えるのだろう。
ここで便宜上、マックスウェルの悪魔ならぬ、クロネッカーの悪魔に御登場願うとしよう。悪魔は実数a が下記の如き循環小数となるように表上の実数を順次並び替えてくれるものとする。
a 0.12345678901234567890…
b 0.23456789012345678901…
もし肯定派の理屈を適用すると、+1した実数b は表上には存在しないはずであるから、有理数(分数)での表現 2345678901/999999999 は実数に含まれないという結論になる。 さあ、さあ、さあさあさあさあ、どうする、どうする。
無限という表現は諸刃の剣、扱いには細心の注意が要る。交代級数を例に挙げると、項の順序を変更するだけで収束値が激変するという奇妙な現実に直面したりする。
1-1/2+1/3-1/4+-… = log2
1+1/3-1/2+1/5+1/7-1/4++-… = 3/2 log2
1-1/2-1/4+1/3-1/6-1/8+1/5-1/10-1/12+--… = 1/2 log2
1-1/2-1/4-1/6-1/8+1/3-1/10-1/12-1/14-1/16+----… = 0
しかしながら今日、カントールの集合論やゲーデルの不完全性定理にケチをつける数学者はまず居ない。内心はどう思っていようとも、すでに広く認知された有名な理論に学者生命をかけてまで反論する価値はないと心得るのが良識というものなのだろう。
万が一、対角線論法が間違っていたとしても、その影響はたかだか「整数<実数」でなくなり、「証明できない命題が存在する」とは言えなくなるだけの話である。リーマン予想やゴールドバッハ予想の是非にヒントすら与えてくれない不完全性定理など、言葉は悪いが絵に描いた餅なのである。カントールとゲーデルは晩年、共に精神を病みあまり幸福とは言えない最期を遂げるのであるが、詳細は余所のサイトに譲る。
--------------------------------------------------------------------
完全性定理 ; 論理学(第一階述語論理)の形式的体系についての定理
不完全性定理; 数学(無矛盾な公理系)の形式的体系についての定理
不確定性理論; ハイゼンベルク提唱による量子力学の基礎原理
リシャールのパラドックス;
http://www.netlaputa.ne.jp/~hijk/memo/incompleteness.html#ARichardParadox_A
森博嗣のミステリーに「黒猫の三角」という作品があるが、これは「クロネッカーのデルタ」をもじったもの。すなわち、対角成分のみ1でそれ以外は0である単位行列のことで線形代数の履修時に登場する。さて、このクロネッカー教授にはカントールという教え子がいた。優秀な学生であったが、整数論をこよなく愛す恩師の神経を逆なでするような論文を発表することで、自らの人生を茨の道に変えてしまう。その論旨となるのが、いわゆる「対角線論法」である。
曰く 。1未満の全ての実数を番号を振って表上に並べたと仮定し、
1 0.2912…
2 0.3598…
3 0.7811…
4 0.3678…
:
a 0.2518…
b 0.3629…
小数点以下、対角線上の桁だけを抽出生成した実数a に対して、その各桁を更に+1した実数b は当然の事ながら表上のどの実数とも一致しない。番号付きの表に存在しない実数が見つかったが故に、実数は整数より多い。 Q.E.D.
この破天荒な証明を読んだ師クロネッカーは激怒した。この時に宣言したのがかの有名な 「神は整数を創りたもうた。それ以外は人為による」 である。
原文 Die ganzen Zahlen hat der liebe Gott gemacht, alles andere ist Menschenwerk.
さて、時代は下って20世紀前半、今度はゲーデルなる若き数学者が「不完全性定理」なるものを引っ提げて登場「数学は自己の無矛盾性を証明できない」という事を証明して、数学全体の完全性と無矛盾性を示そうと試みていたヒルベルトを激怒させる。この証明にも対角線論法が使われた。
カントールは集合論に、ゲーデルは論理学に、それぞれ大きな足跡を標したのであるが、両者が駆使した対角線論法ほど毀誉褒貶のある証明手順はなかろう。そもそも無限集合に背理法など適用可能なのか、といった居心地の悪さを感じさせるのである。
さて件の論法について、否定派は「b に等しい実数を逐次後方へ追いやっているだけ」と非難し、肯定派は「永久に同じ実数が現れないのは自明」であるから証明は成ったと論破する。どちらの主張にも一理あるのでパラドックスめいて見えるのだろう。
ここで便宜上、マックスウェルの悪魔ならぬ、クロネッカーの悪魔に御登場願うとしよう。悪魔は実数a が下記の如き循環小数となるように表上の実数を順次並び替えてくれるものとする。
a 0.12345678901234567890…
b 0.23456789012345678901…
もし肯定派の理屈を適用すると、+1した実数b は表上には存在しないはずであるから、有理数(分数)での表現 2345678901/999999999 は実数に含まれないという結論になる。 さあ、さあ、さあさあさあさあ、どうする、どうする。
無限という表現は諸刃の剣、扱いには細心の注意が要る。交代級数を例に挙げると、項の順序を変更するだけで収束値が激変するという奇妙な現実に直面したりする。
1-1/2+1/3-1/4+-… = log2
1+1/3-1/2+1/5+1/7-1/4++-… = 3/2 log2
1-1/2-1/4+1/3-1/6-1/8+1/5-1/10-1/12+--… = 1/2 log2
1-1/2-1/4-1/6-1/8+1/3-1/10-1/12-1/14-1/16+----… = 0
しかしながら今日、カントールの集合論やゲーデルの不完全性定理にケチをつける数学者はまず居ない。内心はどう思っていようとも、すでに広く認知された有名な理論に学者生命をかけてまで反論する価値はないと心得るのが良識というものなのだろう。
万が一、対角線論法が間違っていたとしても、その影響はたかだか「整数<実数」でなくなり、「証明できない命題が存在する」とは言えなくなるだけの話である。リーマン予想やゴールドバッハ予想の是非にヒントすら与えてくれない不完全性定理など、言葉は悪いが絵に描いた餅なのである。カントールとゲーデルは晩年、共に精神を病みあまり幸福とは言えない最期を遂げるのであるが、詳細は余所のサイトに譲る。
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完全性定理 ; 論理学(第一階述語論理)の形式的体系についての定理
不完全性定理; 数学(無矛盾な公理系)の形式的体系についての定理
不確定性理論; ハイゼンベルク提唱による量子力学の基礎原理
リシャールのパラドックス;
http://www.netlaputa.ne.jp/~hijk/memo/incompleteness.html#ARichardParadox_A
『チェーザレ 破壊の創造者』が面白い ― 2011/11/11 18:28
『チェーザレ 破壊の創造者』が面白い
惣領冬実の『チェーザレ 破壊の創造者』が佳境に入ってきた。第1巻の1491年11月ピサに始まり、8巻目にしてようやく1492年1月レコンキスタ終結まで辿り着いたが、この激動の年が明けるまでにあと何巻費やされるのであろうか。今後、物語は以下の史実に沿って展開するはずだが、
1492/03/09 ジョヴァンニ・デ・メディチ、枢機卿に
1492/04/08 ロレンツォ・デ・メディチ薨去
1492/07/25 インノケンティウス8世崩御
1492/08/11 ロドリーゴ・ボルジア、アレクサンデル6世に
ちょうどこの辺りで塩野七海の『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』冒頭へと話は繋がる。ボルジア、ローヴェレ、メディチの脂ぎった教皇たちに翻弄されるフィレンツェの受難は『神の代理人』、その断末魔は『わが友マキアヴェッリ』に詳しい。
在位期間 教皇名(実名)
---------------------------------------------------------
1455~1458 CALLISTⅢ(ALFONSO BORGIA)
1458~1464 PIOⅡ(ENEA SILVIO PICCOLOMINI)
1464~1471 PAOLOⅡ(PIETRO BARBO)
1471~1484 SISTOⅣ(FRANCESCO DELLA ROVERE)
1484~1492 INNOCENZOⅧ(GIOVANNI BATTISTA CIBO)
1492~1503 ALESSANDROⅥ(RODRIGO BORGIA)
1503~1503 PIOⅢ(FRANCESCO TODESCHINI PICCOLOMINI)
1503~1513 GIULIOⅡ(GIULIANO DELLA ROVERE)
1513~1521 LEONEⅩ(GIOVANNI DE' MEDICI)
さて、3巻でチェーザレがシクストゥス4世に流暢なラテン語で挨拶する場面があるが、ロレンツォ・デ・メディチも10歳の折、教皇ピウス2世の面前で詩を暗唱している。良家の御曹司たちは教皇の覚え目出度きを得んがため、競って社交儀礼の技を磨いていたのだ。
このシクストゥス4世であるが、身内重用のゴリ押しに抵抗するメディチの特権を取り消してパッツィ家に教皇庁の金融を任せるなど様々な嫌がらせを行う。これに対する意趣返しでもあるまいが、ロレンツォがジョヴァンニ・パッツィとその妻ベアトリーチェ・ボッロメイの実家との相続争いに介入した事が、いわゆるパッツィ事件の口火となった。マキャヴェッリによると、ジュリアーノ・デ・メディチは何度も兄に自制を促したらしいが、皮肉にも犠牲となったのは弟の方だった。この事件に逆上したドン=ロレンツォは徹底的な報復を強行する。いわばルネッサンス版のゴッドファーザーといったところ。
さて、サヴォナローラはサン・マルコ修道院の院長に就任し、死の床にあったロレンツォに祝福を与える。ボルジア(アレクサンデル6世)はそんなサヴォナローラに引導を渡し、ローヴェレ(ユリウス2世)はイケイケの戦争三昧、メディチ(レオ10世)は平和主義者ながら教皇庁を食い潰しルターの宗教改革を招く。チェーザレの右腕ミゲルは後日、マキャヴェッリ立案のフィレンツェ正規軍の指揮官を拝命するも、ジョヴァンニ(レオ10世)はそんなマキャヴェッリを冷遇する。またラファエーレ・リアーリオ枢機卿は教皇(レオ10世)暗殺に与したかどで逮捕される。等々、すでに登場済みのキャスト達の運命が所狭しと交錯するのは見ものである。
ところで、4巻でチェーザレがプルーニャの代金を金貨で渡そうとしてアンジェロが慌てる場面があるが、当時の欧州では金貨は富者の通貨、銀貨は貧者の通貨で夫々の流通圏が交わることはなかった。これは本邦においても同様、落語「芝浜」で「あら、ちょいと、お前さん。これ銭じゃないよ、お金だよ」という女房の台詞はギャグではない。カネ(金貨銀貨)とゼニ(銅貨)の流通圏も現実には別々だったのである。
シェイクスピアの『ヴェニスの商人』に見られるように、当時のキリスト教徒は利子を取って金を貸す行為は禁止されていた。では銀行はどうやって利潤を得たのであろうか? その魔術の種は為替取引にあった。ちょっと複雑ではあるが、こんな具合。
ある顧客が「フィレンツェで商品を購入し、ロンドンで売り捌く」ための元手、1000フィオリーニをメディチ銀行で借りるとしよう。現金と同時に振り出された為替手形には「1フィオリーノ=40ペンスのレートにて、ロンドン支店へ返済する」旨が記されている。顧客は商取引を終えるとペンスでロンドン支店に返済するのであるが、当然ながら現地で流通している自国通貨の方がレートは高い。仮に 1フィオリーノ=36ペンス であったなら、返済額は手形通りの40000ペンスだが、フィレンツェから見れば 40000/36=1111フィオリーニ 相当額となる。次に同支店はペンスで資金提供して、フィレンツェでフィオリーニ返済を希望する顧客の来店を待つ。この往復を何度も繰り返せば、為替レートで利益を得るという訳である。この取引を教会の神学者たちは高利貸には当たらないと裁定した。かくして利息を取らない銀行業は、為替手形という魔術で莫大な利益を手中にする。
これは余談だが、メディチ銀行はロレンツォの晩年すでに破綻をきたしていたようである。金の切れ目が縁の切れ目。一族を襲った受難は人材の枯渇だけではなかったのだ。
さて、シレンツィオ=ホアンからバチカンの礼儀作法を教わった狂言回しのアンジェロは、ジョヴァンニかチェーザレが緋色の衣を身に纏う時点で教皇庁へ同行する事になりそうだ。著者もローマで現地取材するのかしら。楽しみである。
惣領冬実の『チェーザレ 破壊の創造者』が佳境に入ってきた。第1巻の1491年11月ピサに始まり、8巻目にしてようやく1492年1月レコンキスタ終結まで辿り着いたが、この激動の年が明けるまでにあと何巻費やされるのであろうか。今後、物語は以下の史実に沿って展開するはずだが、
1492/03/09 ジョヴァンニ・デ・メディチ、枢機卿に
1492/04/08 ロレンツォ・デ・メディチ薨去
1492/07/25 インノケンティウス8世崩御
1492/08/11 ロドリーゴ・ボルジア、アレクサンデル6世に
ちょうどこの辺りで塩野七海の『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』冒頭へと話は繋がる。ボルジア、ローヴェレ、メディチの脂ぎった教皇たちに翻弄されるフィレンツェの受難は『神の代理人』、その断末魔は『わが友マキアヴェッリ』に詳しい。
在位期間 教皇名(実名)
---------------------------------------------------------
1455~1458 CALLISTⅢ(ALFONSO BORGIA)
1458~1464 PIOⅡ(ENEA SILVIO PICCOLOMINI)
1464~1471 PAOLOⅡ(PIETRO BARBO)
1471~1484 SISTOⅣ(FRANCESCO DELLA ROVERE)
1484~1492 INNOCENZOⅧ(GIOVANNI BATTISTA CIBO)
1492~1503 ALESSANDROⅥ(RODRIGO BORGIA)
1503~1503 PIOⅢ(FRANCESCO TODESCHINI PICCOLOMINI)
1503~1513 GIULIOⅡ(GIULIANO DELLA ROVERE)
1513~1521 LEONEⅩ(GIOVANNI DE' MEDICI)
さて、3巻でチェーザレがシクストゥス4世に流暢なラテン語で挨拶する場面があるが、ロレンツォ・デ・メディチも10歳の折、教皇ピウス2世の面前で詩を暗唱している。良家の御曹司たちは教皇の覚え目出度きを得んがため、競って社交儀礼の技を磨いていたのだ。
このシクストゥス4世であるが、身内重用のゴリ押しに抵抗するメディチの特権を取り消してパッツィ家に教皇庁の金融を任せるなど様々な嫌がらせを行う。これに対する意趣返しでもあるまいが、ロレンツォがジョヴァンニ・パッツィとその妻ベアトリーチェ・ボッロメイの実家との相続争いに介入した事が、いわゆるパッツィ事件の口火となった。マキャヴェッリによると、ジュリアーノ・デ・メディチは何度も兄に自制を促したらしいが、皮肉にも犠牲となったのは弟の方だった。この事件に逆上したドン=ロレンツォは徹底的な報復を強行する。いわばルネッサンス版のゴッドファーザーといったところ。
さて、サヴォナローラはサン・マルコ修道院の院長に就任し、死の床にあったロレンツォに祝福を与える。ボルジア(アレクサンデル6世)はそんなサヴォナローラに引導を渡し、ローヴェレ(ユリウス2世)はイケイケの戦争三昧、メディチ(レオ10世)は平和主義者ながら教皇庁を食い潰しルターの宗教改革を招く。チェーザレの右腕ミゲルは後日、マキャヴェッリ立案のフィレンツェ正規軍の指揮官を拝命するも、ジョヴァンニ(レオ10世)はそんなマキャヴェッリを冷遇する。またラファエーレ・リアーリオ枢機卿は教皇(レオ10世)暗殺に与したかどで逮捕される。等々、すでに登場済みのキャスト達の運命が所狭しと交錯するのは見ものである。
ところで、4巻でチェーザレがプルーニャの代金を金貨で渡そうとしてアンジェロが慌てる場面があるが、当時の欧州では金貨は富者の通貨、銀貨は貧者の通貨で夫々の流通圏が交わることはなかった。これは本邦においても同様、落語「芝浜」で「あら、ちょいと、お前さん。これ銭じゃないよ、お金だよ」という女房の台詞はギャグではない。カネ(金貨銀貨)とゼニ(銅貨)の流通圏も現実には別々だったのである。
シェイクスピアの『ヴェニスの商人』に見られるように、当時のキリスト教徒は利子を取って金を貸す行為は禁止されていた。では銀行はどうやって利潤を得たのであろうか? その魔術の種は為替取引にあった。ちょっと複雑ではあるが、こんな具合。
ある顧客が「フィレンツェで商品を購入し、ロンドンで売り捌く」ための元手、1000フィオリーニをメディチ銀行で借りるとしよう。現金と同時に振り出された為替手形には「1フィオリーノ=40ペンスのレートにて、ロンドン支店へ返済する」旨が記されている。顧客は商取引を終えるとペンスでロンドン支店に返済するのであるが、当然ながら現地で流通している自国通貨の方がレートは高い。仮に 1フィオリーノ=36ペンス であったなら、返済額は手形通りの40000ペンスだが、フィレンツェから見れば 40000/36=1111フィオリーニ 相当額となる。次に同支店はペンスで資金提供して、フィレンツェでフィオリーニ返済を希望する顧客の来店を待つ。この往復を何度も繰り返せば、為替レートで利益を得るという訳である。この取引を教会の神学者たちは高利貸には当たらないと裁定した。かくして利息を取らない銀行業は、為替手形という魔術で莫大な利益を手中にする。
これは余談だが、メディチ銀行はロレンツォの晩年すでに破綻をきたしていたようである。金の切れ目が縁の切れ目。一族を襲った受難は人材の枯渇だけではなかったのだ。
さて、シレンツィオ=ホアンからバチカンの礼儀作法を教わった狂言回しのアンジェロは、ジョヴァンニかチェーザレが緋色の衣を身に纏う時点で教皇庁へ同行する事になりそうだ。著者もローマで現地取材するのかしら。楽しみである。
創作落語 【胡蝶の夢】 ― 2011/11/07 12:38
創作落語 【胡蝶の夢】
~ 桂吉朝七回忌によせて、吉朝師に捧げる
登場人物 ● 旦那 ■ 一八 ◇ 胡蝶 ◆ 茂八 ★ 芸妓
● はて、今日は胡蝶の姿が見えんようじゃがどないかしたんか?
★ 旦さん、実は夕べ、鴻池の本宅で饗応の宴がありまして、胡蝶たち若い芸妓衆にもお呼びがかかりましてなあ。
● ほお、あの鴻池はんとこへ助っ人てか。それは豪儀な。さぞ盛況やったやろなあ。
★ 明け方近くまで付き合わされた言うて、女中部屋借りてまだ仮眠とってますわ。せや、そろそろ起こしに行きまひょ。
● いやいや。そのまま寝かせといたり。
★ よろしおすの?
● かまへん、かまへん。休めるときに、しっかり休んだほうがええ。
★ それは胡蝶も助かりますわ。あの娘よほど疲れてんのか、寝言いうてましたよって。
● ほう、寝言を? 何か夢見てたんやなあ。ははあ、これがほんまの胡蝶の夢やな。
■ 何でやす、その胡蝶の夢というのは?
● 何や一八、お前、荘子は知らんかい?
■ 掃除は大嫌い。
● いや、掃除やのうて、荘子(そうし)が書いた荘子(そうじ)やがな。
■ そら、ややこしい。
● なんもややこしいことあらへんがな。まあ、荘子が同志の某氏と荘子の書を書いた、くらい言うたら、ちっとはややこしいけどな。
■ それ早口言葉でっか?
● まあ冗談はさておいて。確かこんな話やったで。あるとき荘子は胡蝶になった夢をみたんやそうな。その時はもう胡蝶になりきって楽しそうにひらひらと舞っていたんじゃが、そうこうしている内にふと目を覚ます。我々なら「ああ夢やった」でおしまいになるところを、このお人は、自分が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶でいま荘子となっている夢を見ているのか、いずれが本当か判断がつきかねる、という事に気付いたわけや。ただし、いずれが正しいにせよ夢を見ていた自分というものに変わりはない、というのがオチやったな。
■ へえ、おのれが胡蝶かも知れんとは、けったいなお人でんなあ。
● まあ、その辺が凡人とはちょっと違うとこやな。けど、胡蝶が胡蝶の夢見てるかも知れんちゅうのは、なかなか洒落てるやないか。これを肴に一杯いこか。
■ あんさんも、けったいなお人や。
● で、どんな寝言いうてた? 胡蝶は?
■ 何クスクス笑てんねん。
★ せやかて、あの娘、可愛いらしい声で「茂八さん」て言うてましたわ。
■ (ムッとして)なんやて?
● 夢の話やないか、ムキになるんやない。
■ いや、アタシを差し置いて茂八なんぞの夢を見るとは実にもって怪しくりからん。
● えらい、たいそうやな。
■ 夢とはいえ、あいつにだけは譲れまへん。
● で、その茂八いうのは誰や?
■ へっ?
● 知ってるんやろ、茂八さんとやらを。
■ いや、誰って、いつも旦さんが贔屓にしてる幇間の茂でんがな。
● わしが贔屓にしてる幇間は一八、お前だけやで、何を言うてるんや。なんぞ夢でも見てたんとちゃうか?
■ えっ、茂八なんか知らん、て、うそ?
あわてて辺りを見回すと、芸妓たちも薄気味悪そうな顔つきで一八を見返してくる。思わぬ展開に、一八はその場で凍りついてしまいます。と、その途端に一同大爆笑。
● うそやがな~、本気にしたらあかんで~
■ あ~びっくりした。あんまり人をなぶらんように。いま、自分も胡蝶の夢の住人で、夢と消えにし我が身かな、になるんやないかと心細い思いしましたがな。
● 夢と消えにしはよかったな。なら、祝儀のことも夢のまた夢かい。いやいや、これも冗談やて。で、肝心の茂八はどないした?
★ へえ、胡蝶と同じですわ。でも茂さんは唯の呑み過ぎ、これも下男部屋で休んでます。
● なんや二日酔か、しゃあないやっちゃな。
■ ほんに使えん奴や。
● そないぼろくそに言わんでもええがな。仮にも天下の鴻池はんとこの宴席を盛り上げてきたんやで、胡蝶も茂八も。で、お前はんには、お声は掛からんかったんかいな?
■ いや、アタシは旦さんひと筋ですから。
● なるほど、ものは言い様やな。さあさあ、一八にも注いでやんなはれ、そんなチマチマしたやつやのうて、ほれあの床の間に飾ってある大杯で浴びるように呑ませてやれ。
などと、ヤンヤ、ヤンヤと盛り上がって参りましたが、一息つくと、この旦那、右の人差し指と左の人差し指を目の前にかざすや、揃えて右に倒したり、左に倒したり、と何やらおかしな動作を繰り返しております。
■ (真似して)旦さん、これ何してまんの?
● ん? いや、何でもない。
■ 何でもない言うてあんた、こんな手つきでいやらしい。
● 別にいやらしいことないがな。
■ アタシらの仲でっしゃないか、教えてくれはっても、あら、このアタシにも話せない? あっそう。へえ、あい、わかりました。
● わかったて、なにが?
■ 明日の朝、御恐れながらと奉行所へ。
● んなアホな。これはやな、こっちの指を胡蝶、こっちの指を茂八、に見立ててるんや。ええか、胡蝶も茂八も今一緒に夢を見ているとなると、事態はいささか深刻やで。
■ というと?
● 胡蝶は夢の中で茂八になりきってるかも知れんやないか。
■ (のけぞりながら)ええーっ?
● それでもって、茂八も夢の中で胡蝶になってたらどうする? ややこしいで、これは、(人差し指を交互に倒しながら)♪茂が胡蝶で、胡蝶が茂か? さあ、さあ、さあさあさあさあ~ どうする、どうする。
■ 何おさまってまんの。
● いやいや、そんなアホなことあるわけないわなあ。はははは、しょうもない座興じゃ、忘れてくれ。今のは無し、冗談やがな~
こうやって幇間をなぶって遊ぶのがこの旦那の趣向であることは先刻承知の一八でございますが、内心憎からず想っている胡蝶とあの茂八が、今現在、夢うつつの仲かも知れないと聞かされては、さすがに心中穏やかというわけには参りません。これは是が非でも二人の夢見を邪魔せねば収まらない。
■ ときに旦さん。豪奢絢爛な夢を見るにはどうすればええか、知りはりまへんか?
● また、やぶから棒に、わけのわからんことを言い出しよったな。
■ いやね、長々と夢の話が続いたんでアタシもひとつ、酒池肉林で饅頭の食い放題なんぞやる夢を見てみたいなあと思いまして。
● けったいな夢やな、それ。なんぼなんでも酒池肉林に饅頭はなかろう。せめて、うな重くらいきばらんかい。
■ アタシ、長いものは苦手でんねん。
● まあ、そうやなあ。吉夢を見るには、床の間に掛け軸なんぞをあつらえると効くというな。ほれ、正月なんかによく見るやろ。
■ はいはい、一姫二太郎とかいう。
● 違うがな、一富士二鷹三茄子。神君家康公が富士の勇姿、鷹狩り、初茄子を好まれた故事にちなむ、おまじないや。
■ ナスビ、効きますか?
● お前はなんで、ケツの方から行くかなあ。なんぞ、そっちの気でもあるのか?
■ アホなこと言いなはんな。姉さんたちの前で、なんちゅうことを。それより、旦さん、吉夢があるなら、その逆もありますやろ。
● 逆いうて、凶夢のことか?
■ そうそうそうそう、その凶夢とやらを見るにはどうしたらよろしいのん?
● 意味わかって言うてんのか? 凶夢というのは、文字通り禍々しい夢のことなんやで。「人生は凶という日の積み重ね」ちゅうくらいのもんやで。お前、そんな罰当たりな夢見てどないするつもりや。
■ 別にそんな夢見たいことおまへんけど、もののついで、怖いもの見たさというやつで。
● うーん、わしもやったことないから詳しい事は知らんが、寝てるときにこんなふうに、胸に腕を重ねるとうなされるとか言うな。
■ はあー、なるほど、なるほど。腕の重みで息苦しくなるわけでんな。他には何かおまへんの? えぐーい夢を見るまじないは。
● 知るかい、そんなもん。
■ そんな冷たいこといわんと。
● なら、逆をやったらええやないか。
■ 逆といいますと。
● 日本一高いといわれる富士山の逆やがな。天王寺の茶臼山でも掛け軸にせんかい。
■ ちゃ・・・
★ あっ、旦さん、どちらへ。
● 憚りや。誰も付いて来んでええで。
* * *
■ 口の悪い旦那やなあ。なんかおちょくられてる気がせんでもないが、まあ、肝心な事は聞き出せたから、鬼の居ぬ間に胡蝶の寝てるとこ行って・・・というわけにもいかんな、しゃあない、代わりに鼾かいてる茂八に凶夢とやらを嫌と言うほど見せたろやないか。
悪い奴もあったもんで、抜き足差し足、問題の部屋までやって来ますと、何も知らずに寝息をたてている茂八の枕元にチンと座る。
■ 急場のことで掛け軸なんか用意できんかったからなあ、この際、直接耳元で引導渡してやろうやないか、こらおもろいでえ。
(耳元でささやく仕草)一富士二鷹三茄子、とか言うてたけどほんまに効くんかいな?
うわっ、こいついま、にこっと笑いよった。ええ夢見たんやな。くそ、そうはさせんぞ。
えへん、「あれに見えるは茶臼山でっせ~」 あっ、今度は露骨に嫌な顔しくさった。
「こっちに見えるのは帝塚山でおます~」 おお、おお、顔しかめて歯軋り始めよった。
「御勝山と聖天山も忘れたらあかんがな~」 うなされてる、うなされてる、効くんやな。
そろそろダメ押しいくで、観念しくされよ。「さてどんじりに控えしは、天保山やで~」
あらら? 唸り声がやんで静かになってしもうたがな。おかしいな、よし、そっちがその気なら仕方ない、そろそろ、奥の手出すで。こうやって、胸の上で両腕を組ませてやると、
わーお、可愛いがな。お人形さんみたい。
すると、茂八の口から可愛らしい寝言が。
◆ 「うち、もう食べれへんえ」
■ (最前の旦那の指使いを真似ながら)なに? この茂八、今は胡蝶? うそ?
◆ 「一八さん」
■ えっ? これも、寝言?
◆ 「一八さん」
■ いま、ワシを呼んだのは胡蝶か? 茂八やのうて、胡蝶かいな?
◆ 「うふふふ、一八さん」
さすがに三度も名を呼ばれては、据え膳喰わぬは何とやら、ええいままよ、と茂八に抱きつき「胡蝶!」と絶叫する一八であります。
と、その時、スーッと戸が開きまして、
◇ だれぞ、ウチを呼びはりました?
茂八に抱きついたままの、ややこしい体勢の一八と、何事かと部屋を覗き込む胡蝶、互いに見交わす顔と顔。
◇ あら、一八兄さんやないの、こんなところで何してるの? わっ、イヤやわあ~
■ いや、これは、違うて。
◇ 姉さんたちの話、ほんまやったんや。茂八さんの寝込みを襲うやなんて、サイッテ~
■ あっ、さてはあいつら、旦那の冗談真に受けて、あることないこと吹聴しくさったな。違うんやて、これは。
◇ イヤ、寄らんといて。あっち行き。
■ 話せば分かるて、なあ、胡蝶。
◇ エンガチョ、シッシッ、誰か来てえ~
慌てて逃げる胡蝶とそれを追いかける一八。なんともえらい騒動になってしまいました。騒ぎを聞きつけて旦那がやって来ると、ちょうどうまい具合に茂八が目覚めます。
● おう、茂、起きたんか。
◆ 旦那。あ~、よう寝ました。
● もう酒はすっかり抜けたようやな。
◆ へえ、おかげさんで。
● どや、ええ夢みたか?
◆ はい、それはもう。
● どんな夢みてたんや。
(サゲ)
◆ 一八に愛想を尽かす、胡蝶の夢を見ておりました。
~ 桂吉朝七回忌によせて、吉朝師に捧げる
登場人物 ● 旦那 ■ 一八 ◇ 胡蝶 ◆ 茂八 ★ 芸妓
● はて、今日は胡蝶の姿が見えんようじゃがどないかしたんか?
★ 旦さん、実は夕べ、鴻池の本宅で饗応の宴がありまして、胡蝶たち若い芸妓衆にもお呼びがかかりましてなあ。
● ほお、あの鴻池はんとこへ助っ人てか。それは豪儀な。さぞ盛況やったやろなあ。
★ 明け方近くまで付き合わされた言うて、女中部屋借りてまだ仮眠とってますわ。せや、そろそろ起こしに行きまひょ。
● いやいや。そのまま寝かせといたり。
★ よろしおすの?
● かまへん、かまへん。休めるときに、しっかり休んだほうがええ。
★ それは胡蝶も助かりますわ。あの娘よほど疲れてんのか、寝言いうてましたよって。
● ほう、寝言を? 何か夢見てたんやなあ。ははあ、これがほんまの胡蝶の夢やな。
■ 何でやす、その胡蝶の夢というのは?
● 何や一八、お前、荘子は知らんかい?
■ 掃除は大嫌い。
● いや、掃除やのうて、荘子(そうし)が書いた荘子(そうじ)やがな。
■ そら、ややこしい。
● なんもややこしいことあらへんがな。まあ、荘子が同志の某氏と荘子の書を書いた、くらい言うたら、ちっとはややこしいけどな。
■ それ早口言葉でっか?
● まあ冗談はさておいて。確かこんな話やったで。あるとき荘子は胡蝶になった夢をみたんやそうな。その時はもう胡蝶になりきって楽しそうにひらひらと舞っていたんじゃが、そうこうしている内にふと目を覚ます。我々なら「ああ夢やった」でおしまいになるところを、このお人は、自分が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶でいま荘子となっている夢を見ているのか、いずれが本当か判断がつきかねる、という事に気付いたわけや。ただし、いずれが正しいにせよ夢を見ていた自分というものに変わりはない、というのがオチやったな。
■ へえ、おのれが胡蝶かも知れんとは、けったいなお人でんなあ。
● まあ、その辺が凡人とはちょっと違うとこやな。けど、胡蝶が胡蝶の夢見てるかも知れんちゅうのは、なかなか洒落てるやないか。これを肴に一杯いこか。
■ あんさんも、けったいなお人や。
● で、どんな寝言いうてた? 胡蝶は?
■ 何クスクス笑てんねん。
★ せやかて、あの娘、可愛いらしい声で「茂八さん」て言うてましたわ。
■ (ムッとして)なんやて?
● 夢の話やないか、ムキになるんやない。
■ いや、アタシを差し置いて茂八なんぞの夢を見るとは実にもって怪しくりからん。
● えらい、たいそうやな。
■ 夢とはいえ、あいつにだけは譲れまへん。
● で、その茂八いうのは誰や?
■ へっ?
● 知ってるんやろ、茂八さんとやらを。
■ いや、誰って、いつも旦さんが贔屓にしてる幇間の茂でんがな。
● わしが贔屓にしてる幇間は一八、お前だけやで、何を言うてるんや。なんぞ夢でも見てたんとちゃうか?
■ えっ、茂八なんか知らん、て、うそ?
あわてて辺りを見回すと、芸妓たちも薄気味悪そうな顔つきで一八を見返してくる。思わぬ展開に、一八はその場で凍りついてしまいます。と、その途端に一同大爆笑。
● うそやがな~、本気にしたらあかんで~
■ あ~びっくりした。あんまり人をなぶらんように。いま、自分も胡蝶の夢の住人で、夢と消えにし我が身かな、になるんやないかと心細い思いしましたがな。
● 夢と消えにしはよかったな。なら、祝儀のことも夢のまた夢かい。いやいや、これも冗談やて。で、肝心の茂八はどないした?
★ へえ、胡蝶と同じですわ。でも茂さんは唯の呑み過ぎ、これも下男部屋で休んでます。
● なんや二日酔か、しゃあないやっちゃな。
■ ほんに使えん奴や。
● そないぼろくそに言わんでもええがな。仮にも天下の鴻池はんとこの宴席を盛り上げてきたんやで、胡蝶も茂八も。で、お前はんには、お声は掛からんかったんかいな?
■ いや、アタシは旦さんひと筋ですから。
● なるほど、ものは言い様やな。さあさあ、一八にも注いでやんなはれ、そんなチマチマしたやつやのうて、ほれあの床の間に飾ってある大杯で浴びるように呑ませてやれ。
などと、ヤンヤ、ヤンヤと盛り上がって参りましたが、一息つくと、この旦那、右の人差し指と左の人差し指を目の前にかざすや、揃えて右に倒したり、左に倒したり、と何やらおかしな動作を繰り返しております。
■ (真似して)旦さん、これ何してまんの?
● ん? いや、何でもない。
■ 何でもない言うてあんた、こんな手つきでいやらしい。
● 別にいやらしいことないがな。
■ アタシらの仲でっしゃないか、教えてくれはっても、あら、このアタシにも話せない? あっそう。へえ、あい、わかりました。
● わかったて、なにが?
■ 明日の朝、御恐れながらと奉行所へ。
● んなアホな。これはやな、こっちの指を胡蝶、こっちの指を茂八、に見立ててるんや。ええか、胡蝶も茂八も今一緒に夢を見ているとなると、事態はいささか深刻やで。
■ というと?
● 胡蝶は夢の中で茂八になりきってるかも知れんやないか。
■ (のけぞりながら)ええーっ?
● それでもって、茂八も夢の中で胡蝶になってたらどうする? ややこしいで、これは、(人差し指を交互に倒しながら)♪茂が胡蝶で、胡蝶が茂か? さあ、さあ、さあさあさあさあ~ どうする、どうする。
■ 何おさまってまんの。
● いやいや、そんなアホなことあるわけないわなあ。はははは、しょうもない座興じゃ、忘れてくれ。今のは無し、冗談やがな~
こうやって幇間をなぶって遊ぶのがこの旦那の趣向であることは先刻承知の一八でございますが、内心憎からず想っている胡蝶とあの茂八が、今現在、夢うつつの仲かも知れないと聞かされては、さすがに心中穏やかというわけには参りません。これは是が非でも二人の夢見を邪魔せねば収まらない。
■ ときに旦さん。豪奢絢爛な夢を見るにはどうすればええか、知りはりまへんか?
● また、やぶから棒に、わけのわからんことを言い出しよったな。
■ いやね、長々と夢の話が続いたんでアタシもひとつ、酒池肉林で饅頭の食い放題なんぞやる夢を見てみたいなあと思いまして。
● けったいな夢やな、それ。なんぼなんでも酒池肉林に饅頭はなかろう。せめて、うな重くらいきばらんかい。
■ アタシ、長いものは苦手でんねん。
● まあ、そうやなあ。吉夢を見るには、床の間に掛け軸なんぞをあつらえると効くというな。ほれ、正月なんかによく見るやろ。
■ はいはい、一姫二太郎とかいう。
● 違うがな、一富士二鷹三茄子。神君家康公が富士の勇姿、鷹狩り、初茄子を好まれた故事にちなむ、おまじないや。
■ ナスビ、効きますか?
● お前はなんで、ケツの方から行くかなあ。なんぞ、そっちの気でもあるのか?
■ アホなこと言いなはんな。姉さんたちの前で、なんちゅうことを。それより、旦さん、吉夢があるなら、その逆もありますやろ。
● 逆いうて、凶夢のことか?
■ そうそうそうそう、その凶夢とやらを見るにはどうしたらよろしいのん?
● 意味わかって言うてんのか? 凶夢というのは、文字通り禍々しい夢のことなんやで。「人生は凶という日の積み重ね」ちゅうくらいのもんやで。お前、そんな罰当たりな夢見てどないするつもりや。
■ 別にそんな夢見たいことおまへんけど、もののついで、怖いもの見たさというやつで。
● うーん、わしもやったことないから詳しい事は知らんが、寝てるときにこんなふうに、胸に腕を重ねるとうなされるとか言うな。
■ はあー、なるほど、なるほど。腕の重みで息苦しくなるわけでんな。他には何かおまへんの? えぐーい夢を見るまじないは。
● 知るかい、そんなもん。
■ そんな冷たいこといわんと。
● なら、逆をやったらええやないか。
■ 逆といいますと。
● 日本一高いといわれる富士山の逆やがな。天王寺の茶臼山でも掛け軸にせんかい。
■ ちゃ・・・
★ あっ、旦さん、どちらへ。
● 憚りや。誰も付いて来んでええで。
* * *
■ 口の悪い旦那やなあ。なんかおちょくられてる気がせんでもないが、まあ、肝心な事は聞き出せたから、鬼の居ぬ間に胡蝶の寝てるとこ行って・・・というわけにもいかんな、しゃあない、代わりに鼾かいてる茂八に凶夢とやらを嫌と言うほど見せたろやないか。
悪い奴もあったもんで、抜き足差し足、問題の部屋までやって来ますと、何も知らずに寝息をたてている茂八の枕元にチンと座る。
■ 急場のことで掛け軸なんか用意できんかったからなあ、この際、直接耳元で引導渡してやろうやないか、こらおもろいでえ。
(耳元でささやく仕草)一富士二鷹三茄子、とか言うてたけどほんまに効くんかいな?
うわっ、こいついま、にこっと笑いよった。ええ夢見たんやな。くそ、そうはさせんぞ。
えへん、「あれに見えるは茶臼山でっせ~」 あっ、今度は露骨に嫌な顔しくさった。
「こっちに見えるのは帝塚山でおます~」 おお、おお、顔しかめて歯軋り始めよった。
「御勝山と聖天山も忘れたらあかんがな~」 うなされてる、うなされてる、効くんやな。
そろそろダメ押しいくで、観念しくされよ。「さてどんじりに控えしは、天保山やで~」
あらら? 唸り声がやんで静かになってしもうたがな。おかしいな、よし、そっちがその気なら仕方ない、そろそろ、奥の手出すで。こうやって、胸の上で両腕を組ませてやると、
わーお、可愛いがな。お人形さんみたい。
すると、茂八の口から可愛らしい寝言が。
◆ 「うち、もう食べれへんえ」
■ (最前の旦那の指使いを真似ながら)なに? この茂八、今は胡蝶? うそ?
◆ 「一八さん」
■ えっ? これも、寝言?
◆ 「一八さん」
■ いま、ワシを呼んだのは胡蝶か? 茂八やのうて、胡蝶かいな?
◆ 「うふふふ、一八さん」
さすがに三度も名を呼ばれては、据え膳喰わぬは何とやら、ええいままよ、と茂八に抱きつき「胡蝶!」と絶叫する一八であります。
と、その時、スーッと戸が開きまして、
◇ だれぞ、ウチを呼びはりました?
茂八に抱きついたままの、ややこしい体勢の一八と、何事かと部屋を覗き込む胡蝶、互いに見交わす顔と顔。
◇ あら、一八兄さんやないの、こんなところで何してるの? わっ、イヤやわあ~
■ いや、これは、違うて。
◇ 姉さんたちの話、ほんまやったんや。茂八さんの寝込みを襲うやなんて、サイッテ~
■ あっ、さてはあいつら、旦那の冗談真に受けて、あることないこと吹聴しくさったな。違うんやて、これは。
◇ イヤ、寄らんといて。あっち行き。
■ 話せば分かるて、なあ、胡蝶。
◇ エンガチョ、シッシッ、誰か来てえ~
慌てて逃げる胡蝶とそれを追いかける一八。なんともえらい騒動になってしまいました。騒ぎを聞きつけて旦那がやって来ると、ちょうどうまい具合に茂八が目覚めます。
● おう、茂、起きたんか。
◆ 旦那。あ~、よう寝ました。
● もう酒はすっかり抜けたようやな。
◆ へえ、おかげさんで。
● どや、ええ夢みたか?
◆ はい、それはもう。
● どんな夢みてたんや。
(サゲ)
◆ 一八に愛想を尽かす、胡蝶の夢を見ておりました。



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